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語彙の少なき5月
           
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←先週の日記

 5月16日(日)
1889(明治22)年 : 東京、京都、奈良に帝国博物館が設置される。
変わらずの金欠生活だが、激貧生活も行くところまで行っちゃうと音を立てて吹っ切れるらしく、愛車のやまがたさんに飛び乗ると久々の古本屋巡り。まずは近場から攻めていくのだが、ガガーン、大ショック。ここ2ヶ月ほどご無沙汰していたのだが、お気に入りだった海外文庫のコーナーが異常に縮小されているではないか。やはり古本屋の商売って難しいんでしょうかねえ。ここ数年古本屋を回っていてショックを受けること数十回。いずれも久しぶりに行ってみると
  • 文庫コーナーが漫画コーナーに占領されていた
  • 店がなくなっていた
  • はあ、ため息。それでも明日のためにガンバル。そう言えばつい先日、朝日新聞に「古本屋に売りに行ったら、1店では数千円になったのに、別の店に売りに行ったら数百円にしかならなかった」と言う記事が載っていた。で、数百円の代表としてブックオフチェーンがインタビューに答え、「ええ、ウチではアルバイトに状態だけを見させているため、本の題名は全く見ていません」。コラコラコラコラ、朝日朝日! そんなことを堂々と書いたら、知らず知らずブックオフに貴重本を売りに行く人が減ってしまうじゃないか。ったく……ブツブツ。山口雅也『13人目の名探偵』を100円で手に入れられたような僥倖は、もうないものなのか。夕方から急に大雨。鳥の糞だらけのうえホコリだらけだったやまがたさんが突然ピカピカの新車に生まれ変わる。ホッ。ただしワックス成分が全然効いていないから、雨がボディをダラダラと垂れる垂れる。ヒイ、カッコわりぃ……。
     5月17日(月)
    1965(昭和40)年 : 天皇が初めて新幹線に乗車する。
    ろ。ちょっと油断をしていたら、あっという間に日記更新を4日もサボっている。4日分まとめて書くのは結構ツライことと、ゴールデンウイーク中に充分懲りたはずなのに、また繰り返している。とほほ。

    週末、家に帰るとポストに水道局から事務的な封筒に入った手紙が届いている。何じゃ?と開けてみて、ガーン(恥ずかしい擬音 ©松本楽志氏)。「先月の水道代が未納やろ、コラ。ちゃんと払わんかい、ドアホ。払わんと、水道を止めてケツ噛んど」などと書いてあるではないか。小心者のぼくはもうこれだけでブルブル震え上がってしまう。天下の水道局を怒らせると恐ろしい。何しろ、「水が飲めない」「メシが炊けない」「洗い物ができない」「洗濯ができない」「風呂に入れない」「歯を磨けない」……考えただけでも、もうこれだけ生活の根幹を奪われてしまっているのだ。何と言っても一番恐ろしいのは「トイレの水が流せない」ことだ。もうこんなことをされただけで、史上最大のピンチなのである(最近の日記、下ネタに走ってばかりですか?)。
    かしおかしいな……。毎月、請求書が来るたびにちゃんと水道料金は支払っているはず。ゴソゴソと「何でも突っ込んでおく引き出し」を探してみると「あった」。みろ、ちゃんと先月末の期限までに支払っているやんけ。それでもやはり強いのは向こう。「そんなもの知りません、水道を止めます」と言われればそこまで。「水道が止まったら、どうやってトイレを流したらいいんだろう」(もちろん、“トイレ”そのものを流すわけではない)と心配のあまり一睡もできなかった夜を過ごし、朝一番に電話。 ……だそうだ。なんじゃそりゃ。
    もそも、ぼくが毎月わざわざ銀行や郵便局の窓口まで行って振り込むのは、こちらから「料金は自動引き落としにしていただけませんでしょうか」と頼んだのに、「オンドレが指定している銀行口座は、東京の銀行支店やから、引き落としなんてできるかい、ボケッ!」などと文句を言われたからだ。挙げ句の果てには、毎月混雑する銀行で貴重な昼休みを削ってまできちんと支払いをしている善良な市民を捕まえて「水道代ドロボー」と中傷するわ、「水道を止めてウンコが流れんようにしてやる」と脅しをかけるわ、と散々な扱いに少々ご立腹。しかし小市民だから何もできない。駅前の屋台のおでん屋で1人冷や酒を飲みながらクダをまく程度なのである(酒も飲めないくせに)。

    しく始まる一週間、今日から読み始めるのは皆川博子『殺意の軽井沢・冬』(祥伝社ノンポシェット)である。なかなか読み始めるまでは勇気がいる本である。実際、見た目からしていかにも「キオスクやコンビニで売ってまぁ〜す」と言わんばかりのデザイン。またページをパラパラめくると、時折現れるヘタクソな挿し絵にウンザリ。電車の中で読むのも恥ずかしいほどの凄まじいヘタクソぶりなのだ。直木賞作家の皆川博子ともあろう作家がこんな本を……おいたわしや……などと心を痛めながらページをめくり出す。するとどうだ、ありゃビックリ。本そのものの恥ずかしいデザインなどすっかり忘れさせるように、物語世界へ強烈に引き込まれていく。巧みな文章力はさすが、皆川博子。しかも「キオスク・コンビニ本」であることもきちんと配慮されているのか、一応改行は多い。しかしそんなことなどへのカッパ。スイスイスラスラ、ページをめくる手が止まらない。
    語そのものは、いわゆる「雪の山荘モノ」である。しかし物語構成はサスペンス。誰かが主人公の女性をはめようとしているのか、それとも本当に彼女は酔った勢いで後輩作家を殺そうと企んだのか。三人称形式の物語でありながら、視点は主人公の女性。読者には彼女と同じ情報しか与えられず、主人公と同様にハラハラドキドキさせられる。そして遂に……。ラストまでグイグイ引っ張られていき、あっという間のフィニッシュ。ううん、最後の最後で突然に「サスペンス」から「ミステリ」に代えてしまう力業はさすが。そのための伏線もきちんと用意されていたのである。もう“さすが”以上に誉め言葉は見つからない。いわゆる「コンビニ・キオスク文庫」であっても、彼女の力量が思う存分発揮されている。ぼくも読むまでは「どうせ2時間サスペンスの原作となるようなショーモナイ作品だろう」などと避けていたのだが、それではミステリ読書ライフにほんのチョットだけ損をしてしまうような、そんな意外なオススメ作品だったのである。
     5月18日(火)
    1936(昭和11)年 : 料理店元女中の阿部定が、荒川区の待合で情夫を殺害、局部を切り取る(阿部定事件)。
    鉄電車に乗っていると、イヤでも目に付くのがドアの真上に張り出されている細長い広告。009をキャラクタに使ったサラ金の広告である(ううん、遺族が使用を許可したのだろうが、果たして石ノ森章太郎本人だったら、OKしているのかどうか……)。最近、フト気がついたのだが、ここの会社の売り文句は「1週間以内に返せば、利息は0」とのこと。つまりですよ、今日お金を借りて、来週に返す。そのまままたすぐ借りて、1週間後に返す。そしてすぐに借りて、1週間後に……を繰り返せば、サラ金から無利息でずっと金を借りていることになるのではないだろうか。だからといって、これが“借り得”になって儲ける話ではないし、ひょっとしたら広告には書かれていない落とし穴か、あるいは広告そのものに折原一やニーリィもビックリの叙述トリックが使われていないとも限りません。「お前があんなことホームページの日記で書くものやから、信用して借りてエライ目にあった。自己破産せなあかんようになってんぞ、どないしてくれんねん」と、文句を言われても困ります。くれぐれも自己の責任でお試し下さいませ。

    日はサクサクッと一日で読了できたので非常にいい気分。ウハハハ。そんな“いい気分”のおかげで、謎の本に手を出す勇気が湧き起こる。谷口敦子『かぐや姫連続殺人事件』(講談社ノベルス)である。ううん、一体これは誰なんだろう? カバー裏の「著者紹介」によると、
    北海道、函館で生まれる。魚座のA型、という以外、その成年、本名等については公表されていない謎の女流新人である。好きな作家、マンガ家は多くて書ききれない、という。本書は、独特の世界観と文章力をもって、推理界へ挑戦するデビュー作である。
    なのだそうだ。しかし、「その成年、本名等については公表されていない謎の女流新人」でありながら、著者近影は堂々と載せているというワケの判らなさである。しかも公表されていないというのはおかしいのじゃないか、講談社ノベルス。デビュー作なんだから自分たちでも正体を知らないわけはないだろう。それを言うなら、公表していないの方が自然だと思うのだが。出版されたのは1991年4月だから、ちょうど「新本格派」で大々的に講談社ノベルスが売り出している最中のデビューだったのだろう。うまく行けば司凍季か谷口敦子かと言われたろうに……どこに行ってしまったのだろう? デビューで消えゆくなんて、まるで『完全無欠のロックンローラー』みたいである……そんなに売れてもいないか……。それともぼくが知らないだけ?
    語は“現代のかぐや姫”と呼ばれる女性に5人の求婚者が現れたことから始まる。彼ら全員は彼女に呼び出され、「宝捜し」を行い、見つけた者と結婚すると提案した。「宝物」のヒントは「竹取物語」からとった二首の和歌。折しも大雪に見舞われ、密室状態となった山荘で「宝捜しゲーム」は始まった。ところが井戸の底から白骨が見つかり、更には殺人が発生した……というもの。作者は一応、タイトル通り『竹取物語』をテーマに添えようと苦心しているが、成功していないと思えるのはぼくだけであろうか。別に『竹取物語』をテーマに添えなくとも、この手のプロットは掃いて捨てるほど存在するのではないだろうか。逆にせっかく古典をテーマにするのだったら、大胆な解釈の元に、全く別の物語を作り出すほどの創作力であればもっと面白くなったのではないかと思うのだが。正直言って「もったいない」使い方であった。ミステリとしても「どうだかなあ」……。丁寧な伏線の張り方には好感を覚えるが、いかんせんトリックがあれじゃあ……とほほのほ。
     5月19日(水)
    1795(寛政7)年 : 火附盗賊改の長谷川平蔵宣以(のぶため)没。51歳。
    お、これ(↑)って『鬼平犯科帳』に出てくる主人公、鬼平のことですよね。そうか……、テレビのドラマだからてっきり架空の人物だと思いこんでいたんですけど、実在の人物だったのですね。考えてみたら「水戸黄門」「大岡越前」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」……あと「銭形平次」は違うのかな? いずれにしても、有名な時代劇のキャラクタって人物像の多少の脚色は仕方ないとしても、みんな実在の人物だったのですね。「一休さん」みたいな子供向けまで実在の人物だし(実はオレ、新右衛門さんのファン。彼が白い馬に颯爽と乗って、しかし慌てながら“いっきゅうさぁ〜ん、いっきゅうさぁ〜ん……ききょう屋の奴、また何か悪巧みを考えている様子でござる。何かいいとんちで懲らしめてやってはくださりませぬか”などと、アゴの割れ具合が気になるかのように手でゴシゴシするモノマネは得意中の得意でした。……で、彼は実在の人物だったんでしょうか?)。ひょっとすると、中村主水も実在の人物……ということはハングマンも実在の人物? ←強引にオチへと持っていこうとしている

    記の更新ばかりに気を取られていて、フト気がつくとすっかり他のページの更新がおざなりになっている。ええっと……ゴホゴホ、「島田荘司データベース」ではなく(あ、こっちもそうですけど、ごめんなさい)、「森博嗣データベース」の方である。短篇集の書誌データもまだ更新していないし、新シリーズも始まっているし、文庫本も2冊目が出ているし……もう大変。それなのに更新は4ヶ月間止まったままだったのである。「これではいか〜ん」と早速更新準備。しかし久々にページを見て「んー」。書かれてあるソースが異様に汚くて気持ちが悪い。おそらく、ホームページを作り始めた頃のソースの原型が、一番色濃く残っているのがこれら「データベースのページ」だと思うのだ。何しろ、TOPページを始め、他のページはドンドンと改良を加えていっているので、そのたびにドンドンとソースが書き換えられていくのである。自然、あまり手を加えていないところが、ソースそのままにキレイに残っていると言うことなのである。ああ、あまりの汚さにイライラ。こうなったら大改造を行うことを決意。一度、乙女座の血に火がついてしまったら、これはB型の血が飽きるまでトコトンやっちゃいます。……と言うことで、肝心のデータ更新はまだまだ先になりそうな、そんな予感がひしひし。しかもソースをキレイに書き換えたからって、ページを見ている方々には大きく変わらないと思うし。「何やコレ。エラソウなこと言っていた割に、何も変わってないやんけ」なんて言われると悔しいので、一応バックと文字の色ぐらいは変えておきましょう(どこかセコい)。

    お、今週は1日1冊というハイペースで未読本を片づけているぞ。この調子で今日も……と手に取ったのが土屋隆夫『虚実の夜』(天山文庫)。卑怯なことに短篇集。ウハハハ、これで今日も1日で読了だ。もう潰れてなくなった出版社の文庫にもかかわらず、130円の値札がついたまま。何か高いような気がしてしまうのは、ブックオフ症候群?
    末の山前譲解説に寄れば、この本に収載された作品は全て角川文庫に収められているという。うーん、しかし挙げられている角川短篇集は、どれもが見たことのないタイトルばかりだ。だからこそ、このようなお手軽短篇集の存在はありがたい。収載作品は全部で7篇。古くは彼の懸賞応募時代に書かれた作品から(クリスティの某作品丸出しである……とほほ)、長篇『盲目の鴉』の元ネタとなった短篇までズラリと並べられている。しかもまた山前譲の解説がうまい。解説はこの7篇だけでなく、いわば「土屋隆夫短篇執筆史」のような体裁をとっているのだ。つまりこれ以外にもいろいろと面白そうな短篇のタイトルを紹介しているものだから、もうイライラ。角川の短篇集を買い求めてしまうかもしれない。なんて罪作りなミステリ評論家。……あれ? そんな解説ばかり読んでいたからか、今日一日で読み終わるはずの短篇集、読み残してしまった。しかも残り3分の1と、えらく中途半端な。明日はこの本ともう一冊別の本を持っていった方がいいのかもしれない。
    (本日 174ページまで)

     5月20日(木)
    1875年 : 米独伊仏がメートル条約に調印、メートル法が国際単位系として認められる。
    日の夜、更新してから“しまった”と気がついたのだが、もう眠たかったし“まあ、いいか”とホッタラカシ。何かというと日記である。『鬼平犯科帳』の鬼平をテレビドラマからてっきり架空の人物だと思いこんでいた、と書いたのだが、もちろん池波正太郎の原作があってのテレビドラマであることは百も承知である。ただ、時代小説なんて全く読まないので(宮部みゆきや京極夏彦の時代小説でも辛かったほど)、どうしても『鬼平犯科帳』と言えば、池波正太郎ではなく中村吉右衛門の顔が浮かんでくるのである。何せ、読書家というよりも、自他共に認めるテレビっ子ですから(この歳になって、自分を“テレビっ子”と言っているのはキショク悪いですか? ああ、いえいえいえ。子供の頃の話ですよ)。おそらく昨日の日記を読んだなかで、ひょっとしたら「あ、アホヤ、コイツゥ〜、鬼平は池波正太郎先生の原作があってのテレビドラマやぞ」なんて思っている方がいないかどうか、チョット心配なのである(被害妄想過多な小心者)。

    かくなって来たので水温も高くなってきたからだろうか、それとも湯沸かしの火力が強くなってきたのだろうか。とにかくここ最近、風呂に入れる湯のスピードがめちゃくちゃ早いのだ。ついこの間の冬場であれば、大体15分から20分くらいかかって、ようやく湯舟の8分目ほど、とかなりノンビリとしたスピードだったから、湯がたまるまではホームページ更新の下書きをしたり、メールをチェックやお返事書きと、結構あれやこれや用事を片づけることができるのだ。ところが、最近、どうもうまくいかない。パソコンに向かってポチポチとキーを打っていると、いつしか風呂場の方からザァザァと、まるでナイアガラの瀑布のような音が家中に響いている。「む、いかん」と慌てて風呂場に駆けつけると、案の定、湯舟から溢れだした湯がザァザァ排水溝に吸い込まれて行っている。ああ、もったいない。このまま湯舟に使っても、ぼくの体積分の湯がまだこぼれるので(アルキメデスの法則?)、無駄に身体を流してからつかる。結局、1回湯を溢れさせると、かなりの量の湯を無駄にしていることになるのだ。ひょっとしたらここ最近の“やっちゃった”湯の量を合計すると、あと1回か2回は余分に風呂に入れるほどになっているのかもしれない。ああ、もったいな……。
    ったいないと言えば、今日の晩飯に食べた「インスタント焼きそば」。湯を入れて麺を膨らませるだけのものなのに、どうして「焼き」そばやねん、と言うツッコミはさて置き、インスタント焼きそばの作り方は各社共通。麺にお湯を注いで3分間ホッタラカシ。3分後、お湯を捨てて「ハイでき上がり」。どうも、この“捨てるお湯”が気になってしょうがない。流しに捨てたら、流しのステンレスが「ボコンッ!」と音をたてて抗議するほどの厄介者。このお湯に救い道はないのか。例えば
    ・麺とかやくのいいダシが出ているので、煮物に加えるといいお味に
    ・麺とかやくの有効なダシが出ているので、洗濯物のシミにあらかじめ付けておくと真っさらに
    ・麺とかやくの力強いダシが出ているので、庭の樹木に水の代わりに撒いていると肥料代わりに
    ・その他家庭の常備薬(切り傷、腹痛、風邪等諸症状の緩和)に
    うう……ロクなこと考えてへんな、オレ。でもそれで思い出したのだが、10年ほど昔、「中華スープ付き インスタント焼きそば」が売り出されていたことがあったっけ。ぼくが考えるのと同じようなことをこの会社は考えたらしく、お湯は捨てないで、中華スープをおつくり下さいだって。今では、どこのスーパーに行っても見かけなくなったけど(少なくともぼくの生活圏内では)、どうしてなんだろう? 相変わらずインスタント焼きそばをつくるときは、台所のステンレスが「ボコンッ!」って音をたてています。

    篇集だから軽く1日で読了できると甘く見ていた土屋隆夫『虚実の夜』(天山文庫)、会社の往きの電車内でフィニッシュ。読むまでは土屋隆夫作品のイメージとして、“古くさくて変に社会正義を気取った面白ない作品”と考え込んでいたのだが、いやあ、すっかり誤解しておりました。確かに書かれた時代背景を考えると、少々古く思えるのは仕方ないとして、それでも面白く読めました。おそらく誤解の原因は、ぼくが勝手に「土屋隆夫の推理小説は、所詮“社会派推理小説”だろうなあ」と決めつけていたこと。何しろシリーズの一つに検事が探偵役のものがあるので、本格推理とは思ってもいなかったのである。全てはぼくの不勉強……反省。
    人的には「青い帽子の物語」と「狂った季節」がお気に入り。どちらもミステリらしからぬ作品だが、特に前者。殺人事件も探偵も現れず、妻に不貞をはたらかれている作家が現実から逃避行をするという物語。淡々と時間の流れだけが描写され、ラストに不思議な読後感を残す“旅情小説”。「狂った季節」の方は一転して、喜劇的。これまた殺人も探偵も登場せず、現れるのはヒトのいい人物ばかり。この作品では“ちょっとした犯罪”が行われるのだが、不快感は全くなく、それどころか“ちょっとした犯罪”を犯した人物に親近感さえ覚えてしまう。これまた不思議な読後感を残す作品であった。思ったよりもかなり面白く読めたという意外性もあって、ぼく的にはこの本の評価は高い……かも。
     5月21日(金)
    720(養老4)年 : 日本書紀が完成し、奏上される。
    うときは毎週のように会いながら、会わないときには1年ぐらい音沙汰がない友人がいる。その友人とは現在、“音沙汰のない時期”に入っており、そろそろ1年が経とうとしている。ところが、今日になって久々にメールが舞い込んできているではないか。しかし1年ぶりのメールなんだから、まず「懐かしいねえ」とか「元気?」とか「ご無沙汰しておりスイマセン」と何かしらの挨拶があってもよさそうなもの。しかしそこはもう10年のつき合い。いきなり「今日ネイルサロンに行くのやけど、一緒に行く? ご飯おごるよ」。おお、行く行くっ!……って、このメールだけにフラフラと誘き出されているようじゃ、単なるヘンタイみたい……。でも、会社を定時に「お先っ!」と抜け出し、イソイソと待ち合わせ場所に向かったのは、決して「ネイルサロン」に興味があったからでも、爪フェチだからでもない。ただ単純に現在の貧窮の身に「晩ご飯おごるよ」とかけられた言葉にだけ魅力を感じたからだ……と言うことにしておいて下さい……(汗)←なぜ汗などかいている?>オレ
    の場所は難波の“O-CAT”。1階の「BODY SHOP」の角に、併設したサロンがあったのだ。ううん、こんなサロンって前からあったっけ……全然覚えていない。考えてみれば、“O-CAT”自体、難波の中心からチョット離れたところにあるので、あまり行ったことがなかったっけ。たまにビルの中に入っても、興味のある店(CDとか本とか)しか覗かないから、こんなサロンがあるなんて知らなかった。あらかじめ予約していた友人はスムーズに席に着く。「さてその間、何をしていようか……」と店の外でウロウロしていると、気を利かせてくれた店員さんが「どうぞ」。カウンター席にイスを用意してくれて、そこで待っていてもいいという。サロンではどのようなことが行われているのか、興味あったので遠慮なくカウンター席にヨッコラショ。しかし当たり前だが、友人以外にも他に客はいる。化粧をしてもらっている見知らぬ女の子をジロジロ眺めるわけにもいかない。視線をあたりに投げつけないように、鞄から本を取りだし読みふける……フリをする。しかし本当は視界の隅でどんなことをしているのか見えているので、気になって仕方がない。店員さんとお客さんの会話も断片的に聞こえてくる。内容は「化粧のやり方」なので、野郎のぼくがあまり聞き耳を立てていても悪い。これがまだカットハウスだったら、「ヘアスタイル」の話題なので、さほど意識をしないだろう。だって「ヘアスタイル」に対して「化粧」ってあまりにも「女性のひ・み・つ」って感じがするから、聞いていると悪いような気がしてしまう。これって意識しすぎ?
    がて、他のお客さんがいなくなり、ようやく顔を上げられる。友人を見ると「おお〜っ!」。手指をマッサージしてもらっているぅ〜。ウウン、実に気持ちよさそう……うっとり。そう、見ている方まで思わずウットリしてしまいそうなほど、気持ちよさそうな手指マッサージなのだ。そういえば昔、一度だけハンドマッサージを受けたことがあったっけ。いつも行くカットハウスにはちゃんと事前に予約を取っているのだが、その日はダブルブッキングしてしまったのだろう「しばらくお待ち下さい、これはお詫びのサービスです」と、ハンドマッサージをしてくれたのだ。ああ、もうそれはサイコーにウットリな至福のひととき。後にも先にもあれほどまでにウットリしてしまったことはないくらいのウットリ(あまりにウットリしすぎで、文章能力がだか毀れてきている模様)。
    やかんやで、ちょうど本を読み終わる頃に友人のネイルケアも終了。パールに輝く爪を颯爽と見せびらかされながら、ぼくの気分は早くも「メシメシっ!」。ビル内のイタリア料理屋さんに移動して、あれやこれや注文、ガツガツガツガツ……。そんな食い方するオレは犬かい……。しかも食事をしながら会話のテーマは「男は一生に何人の子供をつくることができるか(もちろん、育てる責任は一切発生しない、相手の女性は誰でもOKというワケの判らん前提のもと)。これって確率論的な計算以上に、「その男性がもつパワー」にも寄ると思うのですけど(一日のパワーはもちろんのこと、年齢のパワーも大事)。まじめに計算なんてしてしまったけど、考えてみたら食事の話題じゃないですね。もっと食事の話題にふさわしくない話もしていたけど、それはさすがにここでは書けないし……(へっへっへ、こんな書き方をされては、どんな話題だったか余計に気になります? まあ汚くないシモネタですから)

    中、土屋隆夫で狂ってしまったが、それでも今週は1日1冊ペースと、これまでにないハイペースを維持できた読書日記である。今週のラストもキレイに読了してフィニッシュを迎えたいものだ、と選んだのが、またしても先日買ったばかりの黒川博行『文福茶釜』(文藝春秋)、短篇集である。先にも書いたように、難波のネイルサロンでボーッと座りながら読了。いつも「新刊は買ってすぐなんか読まないぞ」などと偉そうなことを言っておきながら、黒川博行だけは別格で、ついつい手に取ってしまう。何しろ、ミステリのWebサイトで黒川博行の読書感想なんてあまり見かけないから、「ぼくが読まずして誰が読む」などと気負い充分。
    回、彼の描く登場人物は、関西人らしくアブラギッシュ(ギラギラと脂が乗り切っていてエネルギッシュ)にカネに群がる人物ばかりである。しかし誰も憎みきれないのは、物語をベタベタには落としきらず、ほどほどにコミカルな彼独自のの筆裁きにあると言えよう。今回のテーマは、“元美術教師”という経歴を生かして(と言うわけでもないだろうが)美術品。扱われている品は物語ごとに異なっているとは言うものの、贋作贋作贋作のオンパレードである。ある意味、この物語の主人公はこうした贋作ではないだろうか。あるいは狂言まわしの役目か。贋作を取り巻き、男たちがまさに食うか食われるかの毎日を生きている、黒川博行お得意のパターンである。美術品に興味がなくとも面白く読める。ぼく自身がそうだ。全く美術品には興味がなかったものの、グイグイ引き込まれていく。これは物語そのもののおもしろさに加え、彼の以前の経歴「美術教師」が生きているのではないだろうか。つまり、人に判りやすく教えることができるため、地の文や登場人物の口を借りて、どのような読者にも判りやすく状況を説明してくれている。もしこれがなければ、この物語のおもしろさは半分にも至らなかったのかもしれない。黒川博行という作家、“「関西」を書かせりゃ日本一”だけでなく、“美術を扱うミステリを書かせても判り安さ日本一”のミステリ作家である。
     5月22日(土)
    1333(元弘3(南)/正慶2(北))年 : 鎌倉幕府が滅亡(新田義貞が稲村ケ崎から鎌倉へ突入、北条高時は自刄する)。
    きてみると、暑い! カーテンを開けると窓の外は眩しいくらいにいいお天気。これはお出かけしたいなあ、と愛車のやまがたさんを見ると、ひぇぇぇ、可愛そうに、雨痕がまだらに垂れていてまるでシマウマのように……見えないこともない。これは早いこと洗車に行った方がいいかもなあと決心。昼ご飯を急いでかきこむと、「よっしゃあ、やまがたさん、キレイにしてやるで」と、近くのコイン洗車場に向かう。が、途中でエライコトに気がつく。「洗車セット持ってくるの忘れている……」。“洗車セット”とはワックスやタイヤクリーナからスポンジ、雑巾までの一式セットである。これを持っていかずして洗車に行くのは、まるで手ぶらで銭湯に行くようなもの……(ん? チョット例えが変?)。仕方なしに行き先を変更……もちろん……古本屋……。
    かしまあ、よくお邪魔する「BOOKS245」(年中無休でしかも24時間営業。10万冊の在庫があるそうな)ですが、今日また行ってみてビックリ。またしてもレイアウト変更が行われているようなのだ。一時はビシッと揃ったはずなのだが、最近はチョコチョコと手を加えられており、あっちの棚にドサッこっちの棚にドサッ。「新潮文庫」と書かれた本棚には「角川文庫」がギッシリ。しかも、著差名での50音順には並んでいないから、端から丁寧に見ていかないと何があるのか判らないのである。一体いつになったら、落ち着くことやら。
     5月23日(日)
    1946(昭和21)年 : 映画「はたちの青春」が封切られ、日本映画で初のキスシーンが話題となる。
    (と言っても、もう12時前だ)、気持ちよく熟睡していると、ピンポンピンポンとチャイムの連打。いきなりの訪問者である。一体誰やねん、とインターホンをとると「自治会のゴミ当番の者です」。あれれ? ちゃんとゴミは分別して出しているんだけどなあ……とドアを開けると、「来月からのゴミのスケジュールです」。自治会に入っていないから回覧板を見る機会のないぼくのために、わざわざ表を持ってきてくれたのだ。「何回かお伺いさせてもらったんやけど、ずっとお留守で」。ひぇぇ、それはすいません。これというのも、奈良市のとってつけたようなゴミ政策が原因だ。もともと奈良のゴミ回収は、「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「大型ゴミ(申込制)」の3種類だけだった。ところが、この3月から急に「燃えないゴミ」自体が更に5種類に細分化され、従来通りの水曜日の回収日に、それぞれの「燃えないゴミ」を出さなければならなくなってしまったのだ。もうこれが大混乱。チョットでも間違った分類をされているゴミがあると、回収もせずにホッタラカシにされてしまうという荒技ぶりである(そのため、急遽ゴミ袋も透明にしなくてはならなくなった)。何でも先週も「燃えるゴミ」の日に、落ち葉を出している人がいたそうだが、落ち葉は、申込制の「大型ゴミ」ということで、回収されずずっと放置されたまま。仕方がないので、自治会のゴミ当番であるその家で保管をしているそうだ。1年ずつ交代でゴミ当番をしている自治会の、よりによってそんな今年に当たってしまったオッチャンは「も〜、参ってまんのや」。何でも家の庭は「放置されたゴミだらけ」らしい……。ううん、そりゃ大変だ。オッチャンのそんな愚痴も聞かせられながら、スケジュールをいちいち説明してくれるオッチャン。しかし、どうもオッチャン、ぼくのことを「いい歳こいて一人暮らしで、表札も出さず、平日の日中は全く捕まらず、自治会にも加入せず、近所づきあいが悪いのか隣近所に聞いても“さあ”と言われるような胡散臭い男」と思われているようである。うむ、これはイカン。当方、ゲリラでも過激派でもオウムでもない単なる一般市民で、近隣の方々には一切害のない人間であるところを見せておこう。「平日は大阪の方に勤めに行ってますんで……」などとペコペコしながら、会社の名刺に自宅の電話番号も書いて渡す。とたんにオッチャンも機嫌がよくなって「新聞とかは子供自治会が集めてますけど、ウチに預けていってもらってもよろしいで」。お、それそれ。それはホントに助かる。実は古新聞の処理が一番困っていたのである。前は「燃えるゴミ」に混ぜておくことができたのだが、急に混ぜてはいけなくなってしまって、部屋は古新聞がたまる一方だったのである。と言うか、ゴミそのものもきちんと分別して出しているので、既に部屋の中はいろんなゴミだらけだ……これから夏がコワイ……。

    から用事のため近鉄奈良駅に向かう。用事自体はあっという間に終わってしまい、拍子抜け。移動時間の方が長いやん。せっかくだから商店街をブラブラ散歩。“奈良で唯一”らしいお気に入りの輸入レコード屋さんに久々に顔を出す。奈良の人だったら誰もが「ああ、あそこかな」と判るくらい目立つ昔の家を改造した味わい深い店。しかしチョット見ないうちにコーネリアスやピチカート・ファイヴ関連のレコードが多くなっている。カヒミ・カリィのレア版やピチカートの「未CD化レコード!」なんて書かれたレコードを見ていると買いたくなってしまう……ひぇぇ、裸のラリーズなんてあるぞ。5千円か……。きっと昔だったら何も考えることなく買っていたでしょうね。最近は音楽に疎くなっているので、果たしてこれが高いのか安いのかよく判らん。
    近の音楽事情には疎くなっているが、古本事情にはまだまだ詳しいぞ、と変な気合いが逆に入ってしまい、駅から少々離れたところにある古本屋に向かう。かつてここはあれほど探しても見つからなかった明石散人『東州斎写楽はもういない』を簡単に見つけてしまったところ。今日も何となく行ってみると……おお、ポーター女史の「ドーヴァー警部シリーズ」が飛び石ながらも4冊。これで、文庫の『切断』も含めて7冊揃い。ラッキー……って思ったら、もう既に持っている本とダブってやがんの。
    かいのインド料理のお店でチャイを飲んで一休み。ほぼ貸し切り状態の店内でノビノビ。ううん、いい気持ち。駅から離れた商店街にあたるため、ここまでは観光客もなかなか訪れてこない。お店の経営者にとっては死活問題かもしれないが、こちらにとってはかなり嬉しい。あまりの気持ちよさに、家まで歩いて帰ろう。サンダル履きながらも1時間半テクテク歩いて帰る。
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